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当店は、土田友湖の買取いたしております。
土田友湖の買取はお気軽にご相談ください。

当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。

古美術骨董品の買取と土田友湖の買取について詳しくは下記をごらんください。

土田友湖作品の鑑定・査定・買い取り・購入

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①土田友湖売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)

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土田友湖―つちだゆうこ

千家十職の一つ、袋師。当代は十二代。

当主の通称は半四郎で、隠居して剃髪すると友湖を名乗る。
土田家の祖先は近江国出身の侍・土田七大夫と言われ、井伊直政に仕官、鉄砲組頭を代々務めた家柄と伝えられている。
七大夫の4代後の子孫・半平は異母弟に家を譲って武士を廃業、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となる。
手先が器用だったため、近隣に住む袋物師亀岡宗理に袋作りの技術を教わり、のちに、宗理から家業の全てを譲られる。
表千家の六代・覚々斎に引き立てられて千家の袋師となる。
表千家七代・如心斎と俳諧を通じて交友を深め、友湖の号を贈られた。
五代までは仕服を生業としたが、表千家九代了々斎の引き立てを受け、茶道具の茶入の仕覆や、服紗、角帯なども扱い始める。

歴代の土田友湖

初代 土田友湖(1687~1757)

土田七太夫。通称は半平、勘平。号は友湖、不染斎。
西陣織の仲買人だったが、袋師 亀岡宗理の弟子となってその家業を継いだ。
表千家の六代 覚々斎の時に千家の袋師となり、後に七代 如心斎より友湖の号を贈られた。

二代 土田半四郎(1736~1757)

初代不染斎の子。法号は了圓。初代在世中に没す。

三代 土田半四郎(1746~1784)

初代の甥。丁字屋嘉兵衛長男。了圓の養子。
号は一得斎友甫。

四代 鶴寿院貞松(1719~1801)

二代半四郎の姉 くに。
三代半四郎の子供が幼少のため、表千家八代の命により家業継承。
1788年、天明の大火により家屋を焼失するが、表千家六代の援助により再建。

五代 土田半四郎(1778~1825)

三代一得斎の長男。
号は伸定、蓮乗。
この頃、室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門など服紗を扱っていた家が断絶したため、表千家九代 了々斎の計らいにより服紗も扱い始める。

六代 土田半四郎(1803~1883)

五代の子。
天明の大火で焼失した家系図や秘伝書の再編纂を薦めるが、蛤御門の変に遭遇し、再び家屋及び家伝などの一切を消失。

七代 土田半四郎(1835~1911)

西垣家出身。養子として土田家に入る。号は聴雪。
表千家十一代 碌々斎の引き立てを受ける。樂慶入と親交が深かった。

八代 土田半四郎(1861~1911)

七代の長女阿さの婿養子。名は千之助。号は淡雪。
養父 聴雪を亡くした一月後に没す。

九代 土田半四郎(1892~1914)

八代淡雪の次男。名は安治郎。
22才の若さで亡くなる。

十代 浄雪院妙要(1859~1940)

七代聴雪の長女、八代の妻である阿さ。
夫、長男、次男の早世及び後継者の三男が幼少のため、家督継承。

十一代 土田半四郎(1902~1965年)

八代淡雪の三男、良三。
昭和15年(1940年)、十代当主で母の阿さが亡くなったため家督継承するが、太平洋戦争勃発により幾度も応召される。
終戦後、ようやく茶道復活の兆しが出始めた昭和29年に病に倒れ、以後は入退院を繰り返し、家業に専念できぬまま世を去る。

十二代 土田半四郎(1939~)

十一代良三の次男 陽三。当代土田友湖。