当店は、奥村吉兵衛の買取いたしております。
奥村吉兵衛の買取はお気軽にご相談ください。
当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。
古美術骨董品の買取と奥村吉兵衛の買取について詳しくは下記をごらんください。
奥村吉兵衛作品の鑑定・査定・買い取り・購入
①奥村吉兵衛売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)
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奥村吉兵衛―おくむらきちべえ
千家十職の一つ。
三千家御用達の表具師として、家元らの揮毫の軸装や風呂先屏風、「紙釜敷」の製作などを行う。
もとは江州佐々木家の流れをくむ武士の家系だったが、初代は京へ上り、母方の家業の表具師を継いだ。
二代目吉兵衛の代に、表千家六代覚々斎の取りなしで、紀州徳川家の御用も務めるようになり、千家の御用達となる。
六代吉兵衛は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化する。
茶道具の様式や、茶会のルールなど、貴重な資料を後世に伝える功績を残す。
八代吉兵衛は歴代の中でも最も技量に優れた名手といわれた一方、国学、儒学にも通じ、彦根藩の家老で儒家の岡本黄石に師事して儒学を学び、詩歌や書にも優れていた。
当代は十二代。
歴代の奥村吉兵衛
初代 奥村吉右衛門 (1700~1618)
諱は清定。出家後法名は宗勢。
正保3年(1646)、上洛し、武士から商人に転業。
承応3年に表具屋業を開業、「近江屋吉兵衛」を名乗る。
妻は売茶翁の友人で能書家として知られた亀田窮楽の伯母。
現在も奥村家の玄関にかかる「表具師」ののれんの揮毫はこの窮楽の筆による物とされる。
二代 奥村吉兵衛 (1633年~1719)
初代の長男。号は休意。
元禄11年(1698)、表千家六代覚々斎の取りなしで紀州徳川家御用達、また表千家御用達となる。
三代 奥村吉兵衛 (1666~1743)
二代の婿養子。近江国浅井郡馬渡村の松山家の出身。出家後法号は休誠。
狂歌の作者、能書家として知られる。
四代 奥村吉五郎 (1737~1781)
三代の婿養子。近江国伊香郡高月村の田辺家出身。法名は道順。
五代 奥村吉兵衛 (1755~1825)
三代の婿養子。近江国伊香郡高月村の松井家出身。出家後法号は了誠。
天明8年(1788)、天明の大火に遭遇、家伝などの一切を消失。
三千家合作の三幅対として有名な土佐光孚筆の絵のうち、 表千家了々斎(宝珠)、裏千家認得斎(小槌)の2作の賛を得て、表装を行う。
六代 奥村吉兵衛 (1780~1848)
四代の婿養子。近江国伊香郡高月村の宮部家の出身。号は休栄。
史料編纂に興味を持ち、天明の大火で失った家伝の再編纂を決意。
「奥村家系図」、「千家御好表具并諸色寸法控」乾巻、坤巻を著し、茶道具の様式や、茶会のルールなど、貴重な資料を後世に伝える功績を残す。
七代 奥村吉次郎 (1795~1837)
六代の婿養子。 号は休音。
義父に先立って逝去。
八代 奥村吉兵衛 (1804~1867)
歴代中最も「表具の達人」であったと言われる。
当人は学問の方に興味があり、後に彦根藩家老となった岡本黄石を師として儒学を学び、その紹介により梁川星巌、紅蘭夫妻と親交を結ぶ。
後に出家し「蒿庵」と号する。
九代 奥村吉兵衛 (1840~1908)
名は義道。八代の長男。
小川町上立売(現・京都市上京区)から、現在奥村家のある釜座通夷川(現・京都市中京区)へ転居。
明治15年、「三千家合作の三幅対」のうち未完であった「天秤計り」に武者小路千家 一指斎の賛を頂戴し、発起より60年後に完成させる。
十代 奥村吉次郎 (1869~1944)
九代の長男。
十一代 奥村吉兵衛(1901~)
十代の長男。
十二代 奥村吉兵衛
十一代子息。当代。