後藤一乗買取

当店は、後藤一乗の買取いたしております。
後藤一乗の買取はお気軽にご相談ください。

当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。

古美術骨董品の買取と後藤一乗の買取について詳しくは下記をごらんください。

後藤一乗作品の鑑定・査定・買い取り・購入

骨董品の買取はお気軽にご相談ください TEL 075-533-1956 11:00~18:00 (月・火定休※ご予約の買取のみ営業)

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①後藤一乗売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)

お問い合わせ
当店には骨董品買取担当者がおります。 全国対応しておりますので、 買取のご相談でご来店いただくお客様は、 必ず、事前にお電話 075-533-1956 でご相談ください。 メールに骨董品の画像を添付してお問い合わせいただく場合は、 yakata-@nifty.com までお願いいたします。
お見積り
お問い合わせの骨董品についての説明や品物の価値、お買取可能かどうかをご相談いたします。 小売価格をもとに買取、買受価格を決定しておりますので、卸売価格やオークション価格ではなく、高価に買取させていただけると考えております。 また、見積り、買取、その際の出張費用はすべて無料でいたしております。
お取引成立
当店では、お客様に納得していただくことを第一に考えております。 店頭で販売する価格をお客様にご提示、ご説明させていただきます。
お支払い
その場で現金をお支払いいたします。

②当店の強み

後藤一乗―ごとういちじょう(1791-1876)

江戸時代後期の後藤派の装剣金工。京都出身。
幼名栄次郎。成人後の通称は八郎兵衛。
銘は、後藤八郎兵衛光貨、後藤光代、後藤光行、 後藤法橋一乗、後藤法眼一乗、伯應、凸凹山人、凸凹翁、寿翁、喜寿翁、の添銘。
のち法橋,法眼に叙せられ、船田一琴・荒木東明ら多数の門弟を擁した。

若くして宗家の代行を務め、後藤家の家彫りの伝統をよく継承し、装剣金工後藤家の最後を飾る。
光行、光代を名乗っていた初期には、家風にしたがって、竜や獅子を題材にした三所物を主に制作した。
のちに、従来の後藤彫に新風を加え、家風にとらわれず竜や獅子以外にも広く題材を求め、やがて松本謙斎に絵を習うなどして花鳥や風景を題材にした写生を取り入れた作風へと転じた。
また、後藤家では禁じられていた鉄地をもちいた作品などを製作した。
鉄を使用した作品(主として鐔)には伯応、凸凹山人、一意などの銘を記したものもある。
作品は刀装具全般にわたっており、小柄、笄などの小道具のほか鐔も作った。
阿弥陀来迎図の揃物や石橋図鐔、吉野龍田図大小揃金具は有名。

1792年(寛政3)京都の後藤家の分家、後藤七郎右衛門家4代目重乗の次男として生まれる。
1799年(寛政11) 9歳のときに八郎兵衛謙乗の養子となり、11歳より半左衛門亀乗に師事した。
1806年(文化3) 15歳で後藤八郎兵衛家5代謙乗の養子となり、6代目の家督を相続して八郎兵衛光貨と名乗った。
1811年(文化8) 21歳のとき光行と改名。
1820年(文政3) 30歳のときに光代と改名。
このころ江戸の宗家四郎兵衛家の加役である大判の墨書書き改めや分銅の製作などの京都における業務を分担した。
1824年(文政7)33歳のとき、光格天皇の正宗刀の装具製作を行い、法橋の位に叙せられる。剃髪してこれ以降一乗光代を名乗った。
1851年(嘉永4)61歳のとき、幕府の招きにより江戸へ下向し、芝新銀座に住し1000人扶持を支給される。
1862年(文久2)皇室のご用命により再び京都に戻り、孝明天皇の御剣金具、太刀拵を製作し、73歳で法眼の位に叙せられる。
1876年(明治9)10月17日死去。86歳。