当店は、酒井田柿右衛門の買取いたしております。
酒井田柿右衛門の買取はお気軽にご相談ください。
当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。
古美術骨董品の買取と酒井田柿右衛門の買取について詳しくは下記をごらんください。
酒井田柿右衛門作品の鑑定・査定・買い取り・購入
①酒井田柿右衛門売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)
- お問い合わせ
- 当店には骨董品買取担当者がおります。 全国対応しておりますので、 買取のご相談でご来店いただくお客様は、 必ず、事前にお電話 075-533-1956 でご相談ください。 メールに骨董品の画像を添付してお問い合わせいただく場合は、 yakata-@nifty.com までお願いいたします。
- お見積り
- お問い合わせの骨董品についての説明や品物の価値、お買取可能かどうかをご相談いたします。 小売価格をもとに買取、買受価格を決定しておりますので、卸売価格やオークション価格ではなく、高価に買取させていただけると考えております。 また、見積り、買取、その際の出張費用はすべて無料でいたしております。
- お取引成立
- 当店では、お客様に納得していただくことを第一に考えております。 店頭で販売する価格をお客様にご提示、ご説明させていただきます。
- お支払い
- その場で現金をお支払いいたします。
②当店の強み
酒井田柿右衛門-さかいだかきえもん
江戸時代、佐賀県(肥前国)有田の陶芸家、および代々その子孫(後継者)が襲名する名称。
柿右衛門様式は、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴。
上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられ、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多い。
同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせるものである。
濁手と呼ばれる独特の乳白色の地色は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われる。
図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的なパターンがいくつかある。
絵柄は時代とともに変化しており、初期は明赤絵の影響があったが、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの影響が入っていった。近年は写生を基にした現代的な画風が多い。
歴代の酒井田柿右衛門
初代(1596年-1666年)
乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式(後述)と呼ばれる磁器の作風を確立し、その作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られた。
また、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られやはりヨーロッパに輸出された。
初代の息子である二代(1620年-1661年)、二代の弟の三代(1622年-1672年)
初代の息子である二代、二代の弟の三代は製作期が重なっており、作風にも大きな差は見られない。
また、三者とも極めて技量が高かったと言われる。
これに加えて四代(三代の息子、1640年-1679年)までの間が初期柿右衛門とされる。
五代(1660年-1691年)から七代まで
五代から七代までが中期柿右衛門とされる。
六代(1690年-1735年)は意匠・細工に優れた叔父の渋右衛門にも助けられ、食器類のほか花器、香炉など様々な磁器製品を高い水準で量産することに成功したため、中興の祖とされる。
高い技術が要されることなどから七代(1711年-1764年)以降に濁手の作品は中絶してしまう。
八代(1734年-1781年)、九代(1776年-1836年)と十代(1805年-1860年)の期間
後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作した。
七代から八代にかけては四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多い。これは明清の陶磁器に元々あったものである。
十一代(1839年-1916年、1860年に襲名)
海外にも積極的な出品を行なった。
十二代(1878年-1963年)と十三代(1906年-1982年)
1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。
濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択され、1971年には重要無形文化財に指定されている(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)。
第十五代酒井田柿右衛門(1968年-、2014年に襲名)
2015年3月現在、が当代である。