当店は、高村光太郎の買取いたしております。
高村光太郎の買取はお気軽にご相談ください。

当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。

古美術骨董品の買取と高村光太郎の買取について詳しくは下記をごらんください。

高村光太郎作品の鑑定・査定・買い取り・購入

骨董品の買取はお気軽にご相談ください TEL 075-533-1956 11:00~18:00 (月・火定休※ご予約の買取のみ営業)

①高村光太郎売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)

お問い合わせ
当店には骨董品買取担当者がおります。 全国対応しておりますので、 買取のご相談でご来店いただくお客様は、 必ず、事前にお電話 075-533-1956 でご相談ください。 メールに骨董品の画像を添付してお問い合わせいただく場合は、 までお願いいたします。
お見積り
お問い合わせの骨董品についての説明や品物の価値、お買取可能かどうかをご相談いたします。 小売価格をもとに買取、買受価格を決定しておりますので、卸売価格やオークション価格ではなく、高価に買取させていただけると考えております。 また、見積り、買取、その際の出張費用はすべて無料でいたしております。
お取引成立
当店では、お客様に納得していただくことを第一に考えております。 店頭で販売する価格をお客様にご提示、ご説明させていただきます。
お支払い
その場で現金をお支払いいたします。

②当店の強み

高村光太郎(1883-1956)

詩人・彫刻家。東京生れ。彫刻家の高村光雲の長男。
彫刻、絵画、詩、多方面で活躍。
「智恵子抄」の詩集が有名のため詩人として認識されることも多い。
詩集の代表作としては「道程」「智恵子抄」「典型」、翻訳の代表作としては「ロダンの言葉」、彫刻の代表作としては「手」「老人の首」など。

東京美術学校彫塑科に入学。卒業後、欧米留学しロダンに傾倒。
ロダンを知って生命の躍動に力点を置く新しい芸術のありように目覚め、1906年、彫刻修業のために渡米。
ニューヨーク、さらにロンドン、パリと移って1909年帰国した。
帰国後は、「パンの会」に加わり、「スバル」に詩を発表し、近代美術の紹介に努めた。
ロダンに学んだヨーロッパの近代造形思考と、幼少時から身につけた伝統的造形手法との相克を鋭く追求した。
1942年に発表した「造型美論」は、面・量塊・動勢・肉づけを四因子とする、本格的な彫刻理論の結実である。
さらに、寡作ながら「手」「裸婦坐像」「黒田清輝像」など密度のある佳作も生んだ。
また、「鯰」「桃」「蝉」などの木彫にも新生面を開いている。

1938年に妻智恵子を亡くし、1941年に詩集「智恵子抄」を発表した。
その後は、太平洋戦争を聖戦として戦争協力詩・愛国詩を書く。
戦後、その責任意識から岩手県花巻郊外の太田村に独居自炊の生活を送り、自己裁断を行った。
山居生活を終え、1953年、十和田湖畔に建つ記念碑の塑像「裸婦像」を制作。
完成後、1956年(昭和31)死去した、73才。