当店は、大樋長左衛門の買取いたしております。
大樋長左衛門の買取はお気軽にご相談ください。
当店も長年古美術商を営んでおりますが、日頃骨董品と馴染みのない皆様も多く、一般のお客様や、買取店からもご相談のお電話をよくいただきます。
古美術骨董品の買取と大樋長左衛門の買取について詳しくは下記をごらんください。
大樋長左衛門作品の鑑定・査定・買い取り・購入
①大樋長左衛門売却希望のお客さまへのご案内(査定・売却の流れ)
- お問い合わせ
- 当店には骨董品買取担当者がおります。 全国対応しておりますので、 買取のご相談でご来店いただくお客様は、 必ず、事前にお電話 075-533-1956 でご相談ください。 メールに骨董品の画像を添付してお問い合わせいただく場合は、 yakata-@nifty.com までお願いいたします。
- お見積り
- お問い合わせの骨董品についての説明や品物の価値、お買取可能かどうかをご相談いたします。 小売価格をもとに買取、買受価格を決定しておりますので、卸売価格やオークション価格ではなく、高価に買取させていただけると考えております。 また、見積り、買取、その際の出張費用はすべて無料でいたしております。
- お取引成立
- 当店では、お客様に納得していただくことを第一に考えております。 店頭で販売する価格をお客様にご提示、ご説明させていただきます。
- お支払い
- その場で現金をお支払いいたします。
②当店の強み
大樋長左衛門―おおひちょうざえもん
大樋焼の窯元。
大樋焼は、江戸時代の陶工、初代 大樋 長左衛門が創始した。
初代は、はじめ土師長左衛門と称していた。
長左衛門は金沢東郊の大樋村に最良の土を見い出し、楽焼の脇窯である大樋焼を始め、独特の釉薬を用い、茶碗、水指、香合など仙叟の好みの茶器を焼成した。
後に河北郡大樋村で藩の焼物御用を務め、その地名から大樋姓を許された。
以来340年余、十代にわたる大樋焼の祖となる。
初代長左衛門は十年間、京都楽家四代一入の高弟であったため、しっかりとした楽焼の技術を持ち、伝統である侘茶の精神を作風に、ロクロはいっさい使わず手捏で成形し、削りながらひとつひとつを創り上げた。
前田家のお庭焼として、京都の楽焼とは異なった作風を展開した。
明治維新以後、大樋焼は藩の御庭焼の地位を失い民間の窯元として生業を立てざるを得なくなったが、大樋焼自体は昭和の茶陶ブームを契機に茶道愛好家や数寄者などを媒介して全国的に知られるようになった。
以来、歴代が長左衛門を襲名し、各代が日本の茶道文化とともに伝統と創造を踏襲し、今日に至る。
歴代の大樋長左衛門
初代大樋長左衛門(1631-1712)
河内国土師村の人
土師長左衛門、後に大樋長左衛門、隠居名は芳土庵
82歳没。
三代大樋長左衛門(1728-1802)
初名は勘兵衛、後に長左衛門
八代藩主前田重熙、十代藩主前田重教、11代藩主前田治脩の御用達窯として勤める
75歳没。
四代大樋長左衛門(1758-1839)
初名は勘兵衛、後に長左衛門、隠居名は土庵、
歴代の中で初代に次ぐ名工とされる。
五代が中興の祖とされるが、その下地となる蕾は四代でふくらみ、五代で開花したといえよう。
経済・文化ともに恵まれる時代にさしかかろうとしていた頃、箱書や在印も俄然多くなる。
茶道文化も一般に定着し、茶人からの要望があったということを、残されたいろいろな流派の箱書が示している。
とりわけこのころ高岡で薮内流が特に盛んだったことがその中から窺い知れるものも興味深いことである。
12代藩主前田斉広候の御用窯をつとめ、前田家に献上した大福茶碗もいくつか残っている。
82歳没。
五代大樋長左衛門(1799-1856)
四代長左衛門の子
初名は勘兵衛、後に長左衛門
四代長左衛門に師事した。
58歳没。
六代大樋長左衛門(1829-1856)
五代長左衛門の長男、7代道忠の兄
初名は朔太郎、後に長左衛門
通例の茶道具とともに、注文に応じて写し物や、食器も手掛けた。
また、五代が白釉を使いこなしたのにならい、乾山風の鉢や高麗青磁写しの雲鶴筒水指なども作っている。
五代長左衛門や六代長左衛門の頃は、目的や要求に応じて創意を実現させた。加賀藩の御用も多く、大福茶碗の献上の折には、その都度金150疋を賜わっている。
さらに弘化4年(1847)に松の御殿焼物御用手伝い、嘉永元年(1848)に二の丸御次御用手伝い、
翌年には二の丸御広敷御用手伝い、金谷御殿御次御用手伝いなどを勤めている。
28歳没。
七代大樋長左衛門(1834-1994)
5代長左衛門の三男、6代長左衛門の弟
初名は道忠、後に長左衛門
5代長左衛門、6代長左衛門に師事
61歳没。
八代大樋長左衛門(1851-1927)
7代長左衛門の高弟
本名は奈良理吉、初名は大樋宗春、後に長左衛門。松涛の号を大徳寺松雲老師から受ける。
また裏千家十三世円能斎宗室家元より以玄斎の号を賜わる。
7代長左衛門、裏千家十三世円能斎宗室家元に師事
77歳没。
九代大樋長左衛門(1901-1986)
8代長左衛門の長男
長左衛門、陶土斎の号は15世裏千家鵬雲斎宗室家元より賜わる
8代長左衛門に師事
昭和2年八代歿後に九代長左衛門を襲名している。
昭和11年大阪阪急百貨店にて茶碗12ヶ月展で注目され、京都の楽家に次いで茶陶の名工と称されるようになる。
戦後は日本伝統工芸展に毎回茶碗を制作して入選を重ね、日本工芸会正会員としても活躍する。
裏千家より淡々斎茶道文化賞を受賞、昭和52年(1977)裏千家15世鵬雲斎御家元より陶土斎の号を贈られる。
晩年は高台を土見せとした黒茶碗を主に手掛けながら、悠々自適の余生を過ごした。
86歳没。
十代大樋長左衛門(1927年-)
9代長左衛門の長男
日本美術工芸界唯一の存命の文化勲章受章者。
東京美術学校(現・東京芸術大学)工芸科卒業。
昭和62年、十代大樋長左衛門襲名。
文化功労者、日本芸術院会員、日展常務理事
現代工芸美術家協会理事長、石川県美術文化協会理事長
石川県陶芸協会顧問、金沢卯辰山工芸工房工房長
ロチェスター工科大学名誉博士
金沢学院大学美術文化学部学部長・教授