売却済
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2022年9月8日
この作品は大田垣蓮月の作品ですが、上に描かれた詩もなよなよと大田垣蓮月を模したように描かれており、本物ではなく贋物と思われます。大田垣蓮月は非常に人気のある歌人ですが、掛け軸や陶芸作品には多くの贋物があります。書かれている花押落款の蓮月の文字ももっと丸みのある穏やかな書体で、本物とは大きな違いがあります。この水墨画も、紙本に簡単に風景画が描かれておりますが、書き込みも悪く、優雅さも無く、南画や水墨画の良さが見られない逸品です。
大田垣蓮月とは、江戸末期から明治初期の歌人で、寛政時代に京都に生まれています。実父は伊賀上野の城代家老で、養父は知恩院の坊官大田垣伴左衛門光古です。幼少の頃丹波の亀岡城主松平家に奉公して、のち光古の養子望古と結婚したが、のち離別しました。1819年光古の養子古肥と再婚しましたが、蓮月33歳のとき、古肥が病死したので剃髪されました。蓮月は若年から歌道に親しみ、自詠の歌を彫った 陶器 も多く作っています。歌風は平明温雅で幕末京都女流歌人の代表者でもあり、富岡鉄斎も若年のときに彼女の庵居に遊び、富岡鉄斎と連月合作の作品も多く残されています。明治時代の明治8年に85歳で亡くなりました。